村内MAP 寄付する

MENU

見る・知る

日本庭園の一角にたたずむ瀟洒なあずまや

東京盲学校車寄

明治43年(1910)に建てられた東京盲学校の車寄部分を移築したもの。校舎は木造2階建てのE字型で、中央に車寄、2階には大講堂がある間口62mの大建築で、外壁や両翼部の妻部は、木骨を見せるハーフティンバー様式でした。
車寄の屋根の切妻ペディメントには文様が刻まれ、天井の板張りに格子組みが見られるなど、美しい意匠を備えています。

建設年 明治43年(1910)
村内所在地 1丁目10番地
旧所在地 東京都文京区目白台
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成15年(2003)
解体年 昭和42年(1967)
移築年 昭和43年(1968)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    ポイント01|ハーフティンバーが映える学校建築の車寄

    本館の校舎は木造二階建てのE字型平面を持つ、間口62mにも及ぶ大きな建物でした。板張りの壁面には柱、桁、胴差(どうざし)などの垂直材・水平材と、筋違など、斜材を浮き出して装飾とするハーフティンバーと呼ばれる様式が用いられています。

    ポイント02|幾何学模様や三連アーチが華やかさを添える

    とりわけデザインが凝縮されていた木造の車寄部分は、緩い鉄板葺きの切妻屋根に、花弁と渦巻きを組合せた屋根飾りが載っています。なお、屋根は移築時に銅板葺きに改められたもの。
    天井や破風(はふ)の植物文様、柱頭、持ち送り、腰壁の幾何学模様が美しく全体をまとめ、独立した三連アーチがダイナミックな空間構成を演出しています。

    村内 Googleマップ

    村内の場所

    ストリートビューで見学

    一覧に戻る

    同じエリアのスポット

    - IN THE SAME AREA -

    見る・知る

    一覧へ

    建造物

    この建物は当初、小学校教師の養成を目的とする三重県尋常師範学校の本館として津市に立てられ、その後、昭和3年(1928)名張市に移築されて蔵持小学校として使われました。左右対称形のE字型の校舎の一部、特色ある中央玄関部と右翼の2教室のみが移築されました。
    建物は、木造2階建て、桟瓦葺きで、外壁は玄関部が漆喰塗り、教室部分は下見板張りになっています。設計者は、三重県庁舎(1丁目13番地)と同じく清水義八。玄関のアーケード、2階に設けられたベランダ、教室部の窓などに洋風建築の特徴が見られます。

    三重県尋常師範学校・蔵持小学校

    重要文化財 / 建造物

    三重県令(現在の知事)岩村定高の発案による洋風県庁舎。明治13年(1880)には明治天皇も行幸され、昭和39年(1964)まで使用されました。明治政府が急速に地方行政の整備を進めると県令はこのような洋風庁舎を新築することが多くなりました。三重県庁舎は、間口が54mに及ぶ大きな建物で、玄関を軸に左右対称となっており、正面側に2層のベランダがめぐらされています。 中央に玄関と車寄を置き、前面にベランダをつけて左右対称とする構成は、明治9年(1876)に建てられた内務省庁舎にならったもので、明治初期の木造官庁舎の典型といえます。
    設計者は当時、県の土木掛にいた大工の清水義八。清水はその後、同市内に造られた三重県尋常師範学校・蔵持小学校(1丁目3番地)も手がけました。

    三重県庁舎

    建造物

    明治41年(1908)に竣工した赤坂離宮(現迎賓館)の正門に、警護のために設けられた4基(左右内外で計4基)の哨舎(しょうしゃ)の一つ。
    赤坂離宮は、当時皇太子であった大正天皇のために建てられた東宮御所で、明治時代を代表する洋風建築です。日本における唯一のネオ・バロック様式の洋風宮殿であり、内外とも当時の技術・工芸の粋が集められています。本館前には広大な西洋式庭園も造られ、警備のために皇宮警察警手が詰める哨舎が配されていました。哨舎は木造銅板葺き、八角形の平面で、洋風の正門にあわせて白壁に丸屋根、頂上に飾りをのせた洒落たデザインになっています。
    設計者は片山東熊(1854-1917)で、工部大学校造家学科で英人建築家コンドルの教えを受けた、第1回卒業生4名のうちの一人でした。

    赤坂離宮正門哨舎

    村内MAP 開村時間 料金 団体情報 アクセス