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書簡(アルフレッド・フォン・シーボルト 筆)
博物館明治村に収蔵されている大量に収蔵されている明治時代の日本赤十字社の文書類の中に、「愛知岐阜 震災 独国シーボルト展覧会 二十五年」という文書綴が残されています。この中には震災救護を記録した文書類の中に、ドイツから送られてきた一通の手紙が綴じられていました。手紙の主は、江戸時代の終わりに長崎・出島の蘭方医として駐在したシーボルトの息子アレクサンダー・フォン・シーボルト。
年代 | 明治25年(1892) |
筆者 | アレクサンダー・フォン・シーボルト |
目次 - Index -
英語で書かれた手紙の中には、「濃尾震災の被災者への義援金を募るためにベルリンで展覧会を開催しました。そこで8705.80マルク(当時の日本円で2900円)義援金を集めることができたので、ベルリンの日本大使館経由で日本赤十字社へ寄付する」旨の手紙です。
アレクサンダー・フォン・シーボルトは安政6年に来日し、明治政府に奉職しました。博愛社(のちの日本赤十字社)設立にも貢献しました。
洋の東西、
日本赤十字社の文書群に残されている濃尾震災の記録写真より。
日本赤十字社の赤十字WEBミュージアムが公開されました。
博物館明治村所蔵の資料も紹介されています。
赤十字WEBミュージアムはこちらよりご覧いただけます。