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耐火性に優れた土蔵造りの銀行

安田銀行会津支店

会津若松市に建てられた旧安田銀行の若松支店。黒漆喰塗りの土蔵造りで、寄棟屋根に赤味がかった塩焼き瓦が葺かれています。室内は吹き抜けになっており、営業室の上にはギャラリーがあります。伝統的な土蔵造りの意匠をベースにしつつ、玄関ポーチや石積みの腰壁、営業室のカウンター、ギャラリーを支える円柱などには、洋風意匠が巧みに取り入れられています。

建設年 明治40年(1907)
村内所在地 2丁目20番地
旧所在地 福島県会津若松市大町
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成15年(2003)
解体年 昭和38年(1963)
移築年 昭和40年(1965)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    ポイント01|銀行としての信頼性を表す堅牢な造り

    土蔵造りという建築構造は江戸時代から始まり、大正時代に鉄筋コンクリート造りが普及するまで多くの建物に用いられました。明治時代には、耐火性に優れていることから、数多くの店舗が土蔵造りで建てられました。この安田銀行では、東北14店舗のうち実に9店舗が土蔵造りでした。

    外から見える木造部分をすべて黒漆喰で塗り籠めて、また西面の腰壁を海鼠(なまこ)壁仕上げにするなど、基本的な造りは、伝統的な耐火建築の土蔵造りによるもの。また玄関の庇を受ける独立柱を石製の角柱にするなど、防火に対する備えが徹底された建物です。当時は、店舗の風水害や火災などに対する備えこそ、庶民が外見から知りうる、銀行への信頼度の目安になっていました。

    この建物は屋根に赤みを帯びた瓦を葺かせており、伝統的な仕様が目立ちます。

    ポイント02|美しい光沢のある黒漆喰の壁

    外壁の黒漆喰は、油煙から作った灰墨(はいずみ)を混ぜて仕上げた塗料で、磨き上げると鏡のような光沢が出る特徴も。側面の美しい海鼠(なまこ)壁も、見どころの一つです。

    Check!

    屋根の塩焼き瓦は、寒さの厳しい会津地方に多く見られるものです。

    ポイント03|内外の細部に施された洋風の意匠

    伝統的な建築仕様が目立つ一方で、玄関庇の中心飾りや、石柱の土台である柱礎の複雑な装飾、1階正面の腰壁の石積みなどには、洋風建築を意識した意匠が見られます。

    室内にも洋風の要素があります。カウンターの上に立つ木製の円柱は、溝彫り(みぞぼり)と、足元の柱礎に彫刻が施された洋風のもの。
    また天井一面には、漆喰の彫刻が施されています。客溜(ロビー)の上はギャラリーとなっていて、全体的に洋風の特色が強く出ている空間に仕上がっています。

    Check!

    玄関にある天井の中心飾りや、軒先の瓦には、安田銀行創業以来の行章である「分銅に三」のマークが見られます。「分銅の三」の「三」は、創業者である安田善次郎の祖先が、平安時代の高名な学者「三善清行」にあたることが由来。江戸時代からの両替商の印「分銅」に、この三善の「三」を組み合わせて、行章の「分銅に三」となったのです。

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    長野県木曽郡大桑村須原の中山道沿いに建てられた医院。建設年は明らかになっていませんが、移築解体時には紙張り天井の下張りから明治36年(1903)11月1日付けの新聞が発見されたため、それ以降の年と考えられています。
    大桑村須原は木曽路の中ほど、妻籠(つまご)と木曽福島の中間に位置し、木曽ヒノキの伐りだしを生業とした町です。この須原に生まれた清水半次郎(1868-1951)は、東京に出て西洋医学を学び、地元の木曽谷に戻って医院を開業しました。
    軒が漆喰で塗り籠められ伝統的な土蔵造にも見えますが、アーチ形の入口や窓、隅柱など洋風意匠を組み合わせていて、宿場町須原にあって目を引いたことでしょう。

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    京都市下京区七条通りの西本願寺前に建てられた巡査派出所。敷地は西本願寺から無償で提供され、建築費は町内の寄附でまかなわれたといいます。
    建物は、木造の平屋建て。腰壁の上を赤レンガのタイル張りとし、モルタル洗い出しの白色の帯と、窓欄間(らんま)の額縁がアクセントになっています。屋根は下部を折ってなだらかな勾配とし、軽快な持ち送りで軒を受けています。隅切りを設けた玄関には、蒲鉾(かまぼこ)形の庇も。内部には詰所と宿直室の2室があります。

    京都七条巡査派出所

    重要文化財 / 建造物

    明治23年(1890)に東京-横浜間で始まった電話交換業務が北海道で行われるようになったのは、同33年(1900)のこと。これにあわせて、高価な交換機を火災から守るために地元産のを石材を用いて建てられました。内部の床や間仕切り壁、小屋組は木造です。1階と2階の窓を違った形式で作り、2階の窓下に花紋を連続させた胴蛇腹をまわす手法は、ルネッサンス以降の西欧でよく見られるものです。
    明治36年(1903)の官制改正により、電話交換局は郵便電信局に併合され、規模の拡大にともなって明治43年(1910)に増築され、その後は札幌中央郵便局として使用されました。

    札幌電話交換局

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