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渡り廊下で結ばれた陸軍付属病院
名古屋衛戍病院
名古屋城内に置かれた陸軍名古屋鎮台の附属病院。「衛戍」とは陸軍の駐屯のことを言います。明治村には、管理棟の半分と病棟1棟、それらをつなぐ渡り廊下が移築されています。建物は木造平屋建ての桟瓦葺きで、周囲に吹き放ちのベランダをめぐらせています。非常に開放的で明るく、清潔感にあふれた印象です。
病院はもともとは6棟の建物が中庭を囲んで配される分棟式の配置をとっていました。これは洋式大病院の典型的な形式で、日本赤十字社中央病院(4丁目35番地)にも踏襲されています。
建設年 | 明治11年(1878) |
村内所在地 | 4丁目37番地 |
旧所在地 | 名古屋市中区三の丸 |
文化財種別 | 愛知県有形文化財 |
指定年 | 昭和41年(1966) |
解体年 | 昭和38年(1963) |
移築年 | 昭和39年(1964) |
目次 - Index -
鑑賞ポイント
管理棟と病棟の特徴

管理棟の正面には、桟瓦葺きで緩い勾配のむくり破風(はふ)の玄関が突き出され、玄関の柱は胴部に膨らみをもたせた円柱が使われています。広い玄関ホールの中ほどから板床に上がり、同じ高さの各室、中庭の回廊へつながる造り。内部には、医局、薬剤室、理化学研究室などがありました。


病棟の外部回廊の大半はもともと吹き放ちで手すりがついていましたが、後に改造され、ガラス入りの引き違い戸が建て込まれています。
病室の換気にはとりわけ注意が払われました。換気設備として、病棟内の天井に畳2枚ほどの広さの回転板戸を設置。開くと、上部の越屋根(こしやね)まで煙道ダクトで通じる仕掛けです。病室の外壁下部にも床上換気口があり、病室内と外部の回廊で通気ができるようになっています。

ドイツの物理学者であったレントゲンがX線を発見したのが、明治28年(1895)。X線はまもなく医療面への応用がはかられ、医学に画期的な進歩をもたらしました。
日本でも、明治43年(1910)には国産初の医療用X線装置が完成しています。展示されているこの「ダイアナ号」は、大正7年(1918)に開発された高性能の国産機です。日本における医療用X線装置の本格的な普及に大きな影響を与えるとともに、海外へも輸出されました。
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