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多くの方のご支援で甦ったオルガンの音色

リードオルガン(Clough & Warren 社製)

日本で現存する最大級のリードオルガン。
1965年、聖ヨハネ教会堂の博物館明治村への移築と同時に寄贈されたオルガンです。
しかしながら、オルガンはその前から音が出ず、以降50年以上にわたって、見るだけのオルガンとして展示されていました。

製作年代 1890年代
製作者 Clough & Warren 社(アメリカ・ミシガン州デトロイト市)
展示場所 1丁目6番地(聖ヨハネ教会堂)

目次 - Index -

    この写真は博物館明治村へ寄贈される前の教会堂の様子です。右端にオルガンが写っていますが、演奏する楽器というよりは、写真のように上部にパイプを飾り、パイプオルガンに見えるように置かれていました。

    2018年、博物館明治村では明治改元150年事業として、このオルガンを修理すべくクラウドファンディングを立ち上げたところ、多くの方々のご支援により、クラウドファンディングは成立し、2019年にオルガンの修理を無事終えることができました。その後、支援者向けのお礼コンサート、一般の方向けのコンサートを開催し、見学者の方々に甦ったオルガンの音色をお楽しみいただいています。

    このオルガンを製作したメーカー、Clough & Warren 社はアメリカ・ミシガン州のデトロイトにあったオルガンメーカーです。
    このメーカーオルガンの機能面への工夫と、装飾の美しさから、生産台数を伸ばし、アメリカ国内のみならず、ヨーロッパ・アジアへも販路を広げましたが、不幸なことに社屋を火災で失ってからは、下降の一途をたどり、1923年に廃業しました。

    このオルガンには椅子と一体型になった足鍵盤がついています。奏者が足鍵盤を用いて演奏すると、ペダルから空気を送り込めなくなるため、オルガン背面に取り付けられているレバーを上下することで、空気入れで風船を膨らませるように空気を送り込みます。これはカルカントと呼ばれるふいご職人が行います。
    足鍵盤の中にも、リードが入っているのもこのオルガンの特徴のひとつです。

    鍵盤部分。F(ファ)から始まる61鍵の鍵盤。
    鍵盤の上には、23個のストップ(音栓)があります。ストップは音色を変えたり、音の効果を高めるものです。現在確認されている国内のリードオルガンの中で、最もストップの数が多いオルガンの一つです。

    オルガンに内蔵されているQualifing Tubeと名付けられた共鳴装置。
    この共鳴装置があることで、このオルガンの音色をふくよかなものにしています。

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    この建物は、明治20年(1887)皇宮警察署庁舎として着工されたものですが、工事中に用途が変更され、宮城の守護と儀仗に当たる近衛局(明治22年に近衛師団と改称)の本部となったもの。付属舎であるこの建物は、その右側にあるに2階建て本館と湯沸所兼渡り廊下でつながっていました。皇居内の隣接する宮内庁庁舎は、ジョサイア・コンドル(1852-1902)の設計によるものですが、この近衛局に関しては設計者は明らかになっていません。明治44年(1911)に師団本部が移転したため、皇宮警察本部がここに移り、坂下護衛署として使用されました。
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