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※4/26-29、5/3-6、5/10-7/20の土日祝日のみ営業
(臨時休店の場合があります)

正門テラス ※メニューは、下記メニュー・期間限定で臨時営業します。

場所 正門付近
定休日 ※4/26-29、5/3-6、5/10-7/20の土日祝日のみ営業 (臨時休店の場合があります)

目次 - Index -

    おすすめ

    メニュー

    主なメニュー ※都合により変更になる場合があります。

    • みたらし団子 

      1本150円

    • 揚げ餅

      1本300円

    • ラスポテ

      700円

    • ハリケーンポテト

      400円

    • 唐揚げ

      600円

    • たこ焼き

      600円

    • 卵せんべい

      400円

    • ビール

      700円

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    重要文化財 / 建造物

    三重県令(現在の知事)岩村定高の発案による洋風県庁舎。明治13年(1880)には明治天皇も行幸され、昭和39年(1964)まで使用されました。明治政府が急速に地方行政の整備を進めると県令はこのような洋風庁舎を新築することが多くなりました。三重県庁舎は、間口が54mに及ぶ大きな建物で、玄関を軸に左右対称となっており、正面側に2層のベランダがめぐらされています。 中央に玄関と車寄を置き、前面にベランダをつけて左右対称とする構成は、明治9年(1876)に建てられた内務省庁舎にならったもので、明治初期の木造官庁舎の典型といえます。
    設計者は当時、県の土木掛にいた大工の清水義八。清水はその後、同市内に造られた三重県尋常師範学校・蔵持小学校(1丁目3番地)も手がけました。

    三重県庁舎

    建造物

    明治の文豪である森鷗外と夏目漱石が、奇しくも相次いで借家した和風住宅。明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたものの、空家のままだったこの家は、明治23年(1890)に森鷗外が借家し1年余りを過ごしました。鷗外は、ここに移り住む同年の1月、処女作小説『舞姫』を発表。この家では『文づかひ』等の小説を執筆し、文壇に入っていきました。
    明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が住み、漱石はここで『吾輩は猫である』を発表。文壇にその名を高めました。文中に描写された家の様子は、よくこの家の姿を写しています。
    玄関脇の張り出した和室(応接兼書斎)、台所から座敷への中廊下には、住宅の近代化の萌芽が見られます。

    森鷗外・夏目漱石住宅

    建造物

    明治41年(1908)に竣工した赤坂離宮(現迎賓館)の正門に、警護のために設けられた4基(左右内外で計4基)の哨舎(しょうしゃ)の一つ。
    赤坂離宮は、当時皇太子であった大正天皇のために建てられた東宮御所で、明治時代を代表する洋風建築です。日本における唯一のネオ・バロック様式の洋風宮殿であり、内外とも当時の技術・工芸の粋が集められています。本館前には広大な西洋式庭園も造られ、警備のために皇宮警察警手が詰める哨舎が配されていました。哨舎は木造銅板葺き、八角形の平面で、洋風の正門にあわせて白壁に丸屋根、頂上に飾りをのせた洒落たデザインになっています。
    設計者は片山東熊(1854-1917)で、工部大学校造家学科で英人建築家コンドルの教えを受けた、第1回卒業生4名のうちの一人でした。

    赤坂離宮正門哨舎

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