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ボランティアスタッフによる案内で巡るガイドツアー

1丁目ガイドツアー《定時 ボランティアガイド》

各丁目ごとに設定したコースに従い建造物をご案内する、少人数のお客様向けツアーです
※10名様以上は、『予約制ガイドツアー』をご覧ください。

場所 第八高等学校正門|1丁目1番地、西郷従道邸|1丁目8番地、森鷗外・夏目漱石住宅|1丁目9番地
開催日 毎日※休村日を除く
※都合により休止の場合がございます。
予約 予約不要(現地でご案内)
料金 無料
所要時間 約30分
集合場所 第八高等学校正門前ボランティアブース
開始時間 10:10、11:00、13:00、13:50

目次 - Index -

    この体験ができる建物について

    明治初期の貴重な洋館建築の一つ 西郷從道邸

    明治初期の貴重な洋館建築の一つ 西郷從道邸

    西郷隆盛の弟、西郷従道が建てた住宅のうち、接客用に設けられた洋館。従道は陸海軍の大臣を歴任していたため、在日外交官の来客も多く、明治22年(1889)には明治天皇の行幸も仰ぎました。
    設計にはフランス人レスカスが関与していると伝えられ、建築金具や階段などをフランスから取り寄せているほか、2階には日本三景が描かれた陶板で飾った暖炉も設置されています。
    この建物は耐震性を高める工夫がなされています。屋根には軽い銅板が葺かれ、野地板が斜めに張られているほか、外壁は柱間に落とし込んだ本実下見板張りとなっています。

    明治の2人の文豪が、数々の名作を生んだ家 森鷗外・夏目漱石住宅

    明治の2人の文豪が、数々の名作を生んだ家 森鷗外・夏目漱石住宅

    明治の文豪である森鷗外と夏目漱石が、奇しくも相次いで借家した和風住宅。明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたものの、空家のままだったこの家は、明治23年(1890)に森鷗外が借家し1年余りを過ごしました。鷗外は、ここに移り住む同年の1月、処女作小説『舞姫』を発表。この家では『文づかひ』等の小説を執筆し、文壇に入っていきました。
    明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が住み、漱石はここで『吾輩は猫である』を発表。文壇にその名を高めました。文中に描写された家の様子は、よくこの家の姿を写しています。
    玄関脇の張り出した和室(応接兼書斎)、台所から座敷への中廊下には、住宅の近代化の萌芽が見られます。

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    重要文化財 / 建造物

    三重県令(現在の知事)岩村定高の発案による洋風県庁舎。明治13年(1880)には明治天皇も行幸され、昭和39年(1964)まで使用されました。明治政府が急速に地方行政の整備を進めると県令はこのような洋風庁舎を新築することが多くなりました。三重県庁舎は、間口が54mに及ぶ大きな建物で、玄関を軸に左右対称となっており、正面側に2層のベランダがめぐらされています。 中央に玄関と車寄を置き、前面にベランダをつけて左右対称とする構成は、明治9年(1876)に建てられた内務省庁舎にならったもので、明治初期の木造官庁舎の典型といえます。
    設計者は当時、県の土木掛にいた大工の清水義八。清水はその後、同市内に造られた三重県尋常師範学校・蔵持小学校(1丁目3番地)も手がけました。

    三重県庁舎

    重要文化財 / 建造物 / Pick Up!

    日本聖公会京都五条教会堂として建設された教会堂。2階が会堂、1階は日曜学校や幼稚園に使われていました。
    中世ヨーロッパのロマネスク様式をベースに、細部にゴシックのデザインをまじえた外観が特徴。正面の左右には高い尖塔が建てられ、奥に十字形の大屋根がかかる会堂が配されています。2階の会堂の内部は十字形の平面になっていて、小屋裏あらわしも。アーチ形の方杖と鉄筋が組み合わされた独特な小屋組の細い骨組みにより、実際よりも広く感じさせる造りです。正面の妻と交差廊の両妻には大きな尖塔アーチの窓が設けられ、美しいトレーサリーの模様が浮かび上がるとともに、室内に光をふんだんに取り込みます。京都の風土に合せて使ったといわれる天井の竹のすだれが明るい光を反射し、内部の印象は非常に開放的です。

    聖ヨハネ教会堂

    常設展示

    明治時代に製作され、実際に使われていた輸入・国産時計を展示しています。
    時計のデザインを見比べながら明治の時計の数々をご覧いただけます。

    常設展示 明治の時計

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