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東松家の女中さんがご案内

東松家住宅《建物ガイド・イマーシブ》

普段、非公開箇所を含む建物を時間を決めて限定公開。個性豊かな東松家の女中さんが、お客様をおもてなししながら建物内部をご説明します。

場所 東松家住宅|2丁目18番地
予約 予約不要(現地でご案内) 建物保護のため人数を制限する場合があります。
料金 無料
所要時間 約30分
集合場所 東松家住宅建物入り口付近
開始時間 11:00、13:00、14:00、※15:00 (※土日祝のみ)

目次 - Index -

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    重要文化財 / 建造物

    明治11年(1878)に施行された「郡区町村編成法」により、県令(後の県知事)の任命する郡長が、郡内の行政を指揮監督することになり、各地に郡役所が置かれました。東山梨郡では、明治18年(1885)にこの建物が日下部村に落成。当時の山梨県令であった藤村紫朗は、地元に多くの洋風建築を建てさせたといいます。この役所もその一つでした。山梨県には県令の藤村紫朗の意向で、当時としてはハイカラな、いわゆる擬洋風建築がたくさん造られました。この建物は、その代表格といえるでしょう。
    建物は中央部分が2階建て(洋小屋)、左右翼部が平屋建て(和小屋)になっていて、小屋組の架構が複雑なのも特徴です。

    東山梨郡役所

    建造物

    長野県木曽郡大桑村須原の中山道沿いに建てられた医院。建設年は明らかになっていませんが、移築解体時には紙張り天井の下張りから明治36年(1903)11月1日付けの新聞が発見されたため、それ以降の年と考えられています。
    大桑村須原は木曽路の中ほど、妻籠(つまご)と木曽福島の中間に位置し、木曽ヒノキの伐りだしを生業とした町です。この須原に生まれた清水半次郎(1868-1951)は、東京に出て医学を学び、地元の木曽谷に戻って医院を開業しました。
    軒が漆喰で塗り籠められ伝統的な土蔵造であるが、アーチ形の入口や窓、隅柱など洋風意匠を組み合わせていて、宿場町須原にあって目を引いたことでしょう。

    清水医院

    建造物

    1階を雨天体操場、2階を講堂として使用していた校舎。当初は大阪市北区大工町の堀川尋常小学校にあったもので、同校の校舎が新築されるに際し、昭和4年(1929)に南河内郡の赤阪尋常小学校に移築されました。
    明治中頃から学校教育の中で体操が重視され始めると、広い体操場が求められるようになり、このような建物が各地に立てられました。
    外周にはアーチが連続する幅一間(約1.8m)の廊下をめぐらしていて、明治時代の洋風校舎としての趣を持っています。2階講堂正面に天皇陛下御真影や教育勅語を納めた奉安殿が設けられています(2階は非公開)。

    千早赤阪小学校講堂

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