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小泉八雲避暑の家

 
4丁目48番地
旧所在地 静岡県焼津市城之腰 建設年代 明治初年(1868)
 「怪談」で有名な小泉八雲はもとの名をラフカディオ・ハーンといった。1850年母の国ギリシャに生まれ、父の国アイルランドで教育を受け、のちアメリカに渡って新聞記者などをする一方、翻訳、評論、創作等の面で文名を高めた。明治23年(1890)来日し、英語教師として松江中学に赴任し、地元の小泉節子と結婚、同29年日本に帰化して小泉八雲と名のった。同年帝国大学に招聘されて東京に移り、帝大や早稲田大学で英文学を講じた。東京へ移った翌年から、夏を焼津で過ごすようになり、その時身を寄せていたのが、この魚屋、山口乙吉の家である。八雲には「乙吉の達磨」「焼津にて」など焼津を題材とした小説がある。

 明治初年に建てられたこの家は、間口5.5m、奥行13.2mの町屋で、木造二階建桟瓦葺、両側面には和風のたて板を全面に張っている。本屋は軒の低い二階建、前面に一間程の庇を出して店構えとし、内部片側に通り土間を通す形式は、当時の町屋の典型的な形である。しかし、店前に余裕をもたせるため、左側一間分はそのままにして店と通り土間の前を奥へ下げている。二階の窓は戸袋を片側に寄せ、低い軒下を開け放って障子をいれている。
 隣の本郷喜之床と比較する時、軒の高さや庇の出などにその時代の特徴を知ることができる。

 内部一階右側は通り土間で、左に店、座敷が並ぶ。通り土間のほぼ中央、壁寄りには、屋根裏まで抜ける換気用の吹き抜きがある。二階では壁に囲まれて煙突状になっている。
 一階の店の隅から二階への階段がある。二階は厨子二階とも呼ばれた屋根裏部屋が発展した形で、広い座敷二部屋と納戸になっている。天井が一部傾斜しており、屋根裏部屋の名残をとどめている。
 
小泉八雲
●小泉八雲「乙吉の達磨」より
 (略) 私の庭の雪達磨は、何年か前に、私が東海岸の或漁村で
楽しい一夏を送った時に発見した甚だ妙な達磨の事を私に想ひ出させる。そこには宿屋がなかった、しかし、或魚屋の主人の乙吉と云ふ男が、私に二階を貸して、不思議な程色々に料理した魚の御馳走をしてくれた。
(略)
 それから私は店へ帰って、うろうろしながら色々の物を眺めた。一方には棚が何段もあって、干物の箱、食用の海藻の包み、草鞋草履の束、酒徳利、ラムネの壜などのせてある。その反対の側のずっと上に、神棚があった。その神棚の下に、達磨の赤い像のある少し小さい棚のある事に気がついた。たしかにその像はおもちゃではなかった、その前に供物もあった。私は達磨が家の神となっているのを見ても驚かなかった。(略)
田部隆次訳

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