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本郷喜之床

 
4丁目47番地
旧所在地 東京都文京区本郷 建設年代 明治末年(1910)頃
 この家は東京本郷弓町2丁目17番地にあった新井家経営の理髪店喜之床で、二階二間は石川啄木が函館の友宮崎郁雨に預けていた母かつ、妻節子、長女京子を迎えて明治42年6月16日から東京ではじめて家族生活をした新居である。啄木はそこで文学生活をしながら京橋滝山町の東京朝日新聞社校正部に勤めていた。明治43年9月にはそこに本籍を移し、10月には長男真一が生まれたが間もなく夭折した。そして12月に出版したのが啄木の名を不朽にした処女歌集「一握の砂」である。それはまた明治の暗黒事件として啄木の思想にも影響した大逆事件が起きた年でもある。その頃から母も妻も啄木も結核性の病気になり、二階の上り下りも苦しくなって明治44年8月7日小石川久堅町の小さな平家建の家に移った。明治45年3月7日にはそこで母かつが死に、翌4月13日には啄木もまた母の後を追うように27歳の薄倖の生涯を閉じたのである。この建物は明治末年を遡り得ないと思われる。江戸の伝統を伝える二階建の町家の形式を踏襲してはいるが、散髪屋としてハイカラな店構えに変化してきている。

 流行に左右され、清潔であることが売り物となる理髪店の常として、この店の内部も著しい改造が加えられていた。建物の柱等に残る痕跡調査を基に、できる限り創建当時の姿に復し、店内の飾り付けは、新潟にあった同時代の店「入村理髪店」から贈られた鏡や椅子等を置いて整えた。


 
石川啄木
●石川啄木「一握の砂」より
(我を愛する歌)
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る
(手套を脱ぐ時)
かなしくも
夜明くるまでは残りゐぬ
息きれし児の肌のぬくもり

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