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幸田露伴住宅「蝸牛庵」

 
3丁目26番地
旧所在地 東京都墨田区東向島 建設年代 明治初年(1868)代
 明治10年代(1877〜1886)、下火となっていた戯作文学が、自由民権論、国権論、アジア主義等の隆盛に呼応した政治小説の形で復活してくるが、これとは別に人間の内面を描き出そうとする動きも出てきた。明治18年(1885)坪内逍遥は「小説神髄」を刊行して小説の新しい方向を提唱、これに応じる形で二葉亭四迷の「浮雲」が生まれたが、逍遥の内面尊重の主張はさらに幸田露伴へと受け継がれ、東洋的な観念を主題とする作品に結実してゆく。

 露伴は幼少の頃算術を得意とし、長じて電信を学び、電信技手を勤めるが、傍ら漢籍や仏書を読破し、「小説神髄」に触発されて明治20年(1887)21才の時、官を辞した。その翌年発表した処女作「禅天魔」が尾崎紅葉の目にとまると、文筆の世界に足を踏み入れ、「風流仏」「対髑髏」「五重塔」等次々に発表、紅葉とともに紅露時代として一世を風靡した。
 露伴は自分の家を「かたつむりの家(蝸牛庵)」と呼び、やどかりのように幾度となく住まいを変えている。隅田川の東にあったこの家もその内の一つで、明治30年(1897)からの約10年間を過ごしている。周辺には江戸時代から豪商の寮(別邸)や下屋敷が多く、この建物もその雰囲気を伝えるとともに、深い土庇のある座敷には水鳥を形どった釘隠しが付けられ、墨東の名残もとどめている。
 町屋と異なり、まわりの広い庭に自由に延び拡がった建物で、廊下を軸に玄関、和室、付書院のある座敷が千鳥に配されている。

●幸田露伴「五重塔」より
 其三十四
(略)
此十兵衛の一心かけて建てたものを脆くも破壊るゝ歟のやうに思し召されたか口惜しい、世界に我を慈悲の眼で見て下さるゝ唯一つの神とも佛ともおもふて居た上人様にも、眞底からは我手腕たしかと思はれざりし歟、つくづく頼母しげ無き世間、もう十兵衛の生き甲斐無し、たまたま當時に双なき尊き智識に知られしを、是れ一生の面目とおもふて空に悦びしも眞に果敢無き少時の夢、嵐の風のそよと吹けば丹誠凝らせし彼塔も倒れやせむと疑はるゝとは、ゑゝ腹の立つ、泣きたいやうな、それほど我は腑の無い奴か、恥をも知らぬ奴と見ゆる歟、自己が為たる仕事が恥辱を受けてものめのめ面押拭ふて自己は生きて居るやうな男と我は見らるゝ歟、假令ば彼塔倒れた時生きて居やうか生きたからう歟、ゑゝ口惜い、腹の立つ、お浪、それほど我が鄙しからう歟、鳴呼々々生命も既いらぬ、我が身体にも愛想の盡きた、(略)


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