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文明開化を象徴するハイカラなたたずまい

高田小熊写真館

豪雪で知られる新潟県高田町に建てられた写真館。明治時代の写真館といえば、文明開化の象徴のような存在でした。この建物も例にもれず、ハイカラな雰囲気の建物。施工はおそらく地元の大工によるものですが、洋風2階建てと全体的に簡素な造りながら、つい人目を惹く洒落た魅力があります。増改築や模様替えをたびたび行いながら、昭和の時代まで写真館として営業を続けました。
1階は応接間と暗室、居室、2階には写場(スタジオ)が設けられています。

建設年 明治41年(1908)頃
村内所在地 5丁目65番地
旧所在地 新潟県上越市本町
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成16年(2004)
解体年 昭和56年(1981)
移築年 昭和57年(1982)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    自然光を最大限に活用できるスタジオの工夫

    建築時、最も力を注いだのはスタジオの明かりでした。当時は強力なライトなどの照明設備がなく、スタジオ内での撮影も自然光が頼りの時代でした。そのためこの建物では、光量の変化が少ない北屋根の全面をガラス窓に。また内側に白黒の布を張ることで、撮影に合わせて光量を調節できる仕組みになっています。

    撮影小道具となる長椅子や洋風の柱などの造作もスタジオの各所に。

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    建造物

    広島湾に浮かぶ小那沙美島に建造された灯台。この小さな島に灯台が置かれたのは、明治21年(1888)に海軍兵学校が広島の江田島に移され、広島湾岸が軍事上の要所とされたためでした。
    円筒形の灯柱に灯篭と天蓋が据えられた、総高さ6.7mの鋳鉄造り。燈柱は直径50~60cmの円筒4本を積み重ねて建造され、工期短縮の必要と立地条件に適した構造となっています。上部の点検用デッキは6本の持送りで支えられ、灯篭には8面の曲面ガラスを組み込み、円錐形の銅板製天蓋と球形の冠蓋が載ります。

    小那沙美島燈台

    建造物

    山形県天童市の倉津川に架けられた石造アーチ橋。もともとの名は多嘉橋(「高橋」の表記とも)。幅7.7m、長さ13.3mの規模で、地元産の山寺石を積んで造られました。
    日本のアーチ橋は、江戸初期に建造が始まり、長崎の眼鏡橋などが有名です。中国から伝来した技術が用いられたため、九州地方に多く架けられました。明治に入ると、欧米の技術も取り入れられ、各地で見られるようになりました。東北地方のアーチ橋は、当時の県令であった三島通庸による土木政策からも大きな影響を受けました。長崎の眼鏡橋が湾曲した床面を持つのに対し、この橋は、ローマの水道橋のような水平な床面になっています。

    天童眼鏡橋

    建造物

    愛知県刈谷市にあった広瀬酒造の酒蔵。もともとは明治初年(1868)頃に、現在の愛知県碧南市新川に穀物倉として建てられ、明治28年(1895)に刈谷市に移されました。
    一般的に、酒蔵は醸造の過程と用途にもよるものの、おおむね大規模な建物になることが多いといわれます。この酒蔵も例にもれず、木造2階建ての桟瓦葺きに梁間9間(約16.3m)、桁行き18間(約32.7m)、幅2間(約3.6m)の庇がついた大きな建物になっています。

    菊の世酒蔵

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