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簡素で堅牢な兵舎

歩兵第六聯隊兵舎

歩兵第六聯隊は、名古屋に置かれていた東京鎮台第三分営という軍隊が、明治6年(1873)に名古屋鎮台に昇格した時に新しく編成された部隊でした。名古屋城大手門の右手にある二之丸跡に兵営が設置され、営庭を取り囲むように兵舎が配置されました。明治村へ移築されたのは第十中隊で、兵舎は約7割程度に切り縮められました。
外観は漆喰壁に上げ下げ窓が並び、素朴な印象を与えます。しかし、構造はとても頑丈で、外側の柱はすべて土台から軒まで達する太い通し柱とし、壁の下地になる木摺(きずり)を斜めに打っています。

建設年 明治6年(1873)
村内所在地 4丁目36番地
旧所在地 名古屋市中区二の丸
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成16年(2004)
解体年 昭和38年(1963)
移築年 昭和40年(1965)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    兵士たちの暮らしに思いを馳せる内部展示

    創建当時、窓の数は現在の約半数だったものの、のちに室内を明るくするため増設されています。明治村では屋内の展示環境に配慮し、増設された状態で復原しています。内務班の部屋には、現在も木製のベッドが展示され、当時の様子を再現。この建物ではすべての家具が、耐久性を重視されて作られたといいます。そのほか中隊長室、下士官室などが、当時の姿に復原されています。

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    名古屋城内に置かれた陸軍名古屋鎮台の附属病院。「衛戍」とは陸軍の駐屯のことを言います。明治村には、管理棟の半分と病棟1棟、それらをつなぐ渡り廊下が移築されています。建物は木造平屋建ての桟瓦葺きで、周囲に吹き放ちのベランダをめぐらせています。非常に開放的で明るく、清潔感にあふれた印象です。
    病院はもともとは6棟の建物が中庭を囲んで配される分棟式の配置をとっていました。これは洋式大病院の典型的な形式で、日本赤十字社中央病院(4丁目35番地)にも踏襲されています。

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    外観は漆喰壁に上げ下げ窓が並び、素朴な印象を与えます。しかし、構造はとても頑丈で、外側の柱はすべて土台から軒まで達する太い通し柱とし、壁の下地になる木摺(きずり)を斜めに打っています。

    歩兵第六聯隊兵舎

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