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トップページ 新着情報 > 『芝川又右衛門邸』一般公開のご案内(9/22)
 
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芝川しばかわ又右衛門またえもん邸』
平成19年9月22日(土)一般公開!

 
 ◆13年ぶり64棟目の移築復原事業!
 ◆阪神・淡路大震災からの復興を
          市民ボランティアとともに実現!
博物館明治村では、阪神・淡路大震災で煙突部分が倒壊し、平成7年に明治村に寄贈された『芝川又右衛門邸』を移築復原し、平成19年9月22日(土)より一般公開しております。
   ※建物内のご見学ができるのは、ページ下部「建物ガイド」時のみです。
『芝川又右衛門邸』模型
【画像:『芝川又右衛門邸』模型】
明治村40周年の記念事業として、平成17年1月に作業が始まり、この度、震災後約12年余りを経て、当時の姿を再び明治村で皆様にご覧いただける運びとなりました。
明治村が建造物を移築復原するのは、平成6年竣工の『大明寺聖パウロ教会堂』以来13年ぶりで、村内の建造物としては64棟目となります。

『芝川又右衛門邸』昭和当時 ≪芝川家について≫
『芝川又右衛門邸』の所有者である芝川家は屋号を百足(むかで)屋といい、幕末頃から大阪の伏見町で唐物商を営んだ豪商です。明治に入ると当時の主人、初代芝川又右衛門が洋銀の両替商を始めるなどして事業を拡大し、二代目又右衛門が現在の兵庫県西宮市甲東園に果樹園を開き、明治44年、果樹園内に当時新進気鋭の建築家であった武田五一の設計によって建てられた住宅が『芝川又右衛門邸』です。
【画像:『芝川又右衛門邸』昭和当時】
≪武田五一について≫
設計者である武田五一(1872-1938)は関西を中心に活躍、京都帝国大学(現・京都大学)建築学科の創設に尽力し、現在では「関西近代建築の父」と呼ばれるほど、日本の建築界に大きな影響を与えました。また名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)の校長として就任し、中部地方における建築教育の普及にも努めるなど、その功績は多大であると言われています。
武田五一
武田五一の作品は京都に多く残されていましたが、近年になって取り壊しが相次ぎ、現存する建物も極めて少なくなりました。『芝川又右衛門邸』は所有者や、その価値を認める有志が協力し合い、平成7年秋の実測調査後解体、同年末に明治村に寄贈されました。
復原作業には公募された約30名のボランティアの方々にご協力をいただきました。また、博物館明治村は平成17年6月に文部科学省より「特定公益増進法人」の認定を受け、その結果、事業費約8000万円のうち半額の4000万円もの寄附を一般よりいただき、これを原資の一部として事業を進めてまいりました。
博物館明治村は、今後も万民の歴史遺産を守る努力を続けてまいります。

『芝川又右衛門邸』建物ガイド
『芝川又右衛門邸』は1日8回(土日祝・10回)の建物ガイドで内部を公開いたします。開催時間は下記の通りです。
11:00 11:20 11:40 13:00 13:20
13:40 14:00 14:20 14:40 15:00
は土日祝日のみ)
≪芝川又右衛門邸について≫
芝川又右衛門邸(以下、芝川邸)は明治44年、大阪で唐物商「百足屋」を営んでいた芝川又右衛門氏が現在の西宮市甲東園(現在の地名「甲東園」は又右衛門が命名した果樹園の名に拠るものです。)に拓いた果樹園の中に建てた別荘で、設計は関西の建築界のリーダー的存在である武田五一によるものです。建物は創建当初、数奇屋の中に洋風の意匠を取り入れた建物でしたが、後に昭和になってスパニッシュ風に変更されるなど、建築デザインの潮流を知る上でも非常に貴重と考えられています。
また多数の建築作品を遺した武田五一ですが、その多くは取り壊しの運命に遭い、芝川邸も平成7年1月の阪神・淡路大震災の際に被災し、移築を余儀なくされましたが、現存する数少ない作品の中で秀逸なものの一つ評価されています。
 
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