なぜ、残せなかったのですか?「帝国ホテル・ライト館」
「帝国ホテル中央玄関」を訪れるお客様に、一通りガイド説明を終えると、かつては、日本の玄関とも言われ、世界のVIPや、チャップリン、マリリン・モンロー、なども宿泊された、ライト館、
20世紀を代表するアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが造った作品の中で一番重要な建物を、
「どうして、こんな立派な建物を40年ぐらいで取り壊しになったのですか?」
「どうして、ライトが精魂こめて造った建物を文化財として残せなかったのですか?」
明治村に来られて、初めて「帝国ホテル中央玄関」を見られた、多くのお客様からよくこんな質問を受けることがあります。
私もガイドを始めるにあたって、当時の研修時に(平成14年3月)同じような質問をしたものです。
ライト館の取り壊しが計画されると、国内では「帝国ホテルを守る会」が生まれ、またアメリカでも「ライトの名作を守れ」との取り壊し反対の運動が起こったとのことです。
取り壊しの理由として
・ 建物は確かに立派だが雨漏りがひどく、それを簡単に修理することが出来ない構造であった。
・ 建物全体が低層で面積が広く、客室が250室と少なく、 したがって多くの従業員が必要で効率が悪かった。
・ 当時はオリンピックを念頭に、また万博開催が望まれてい た時期であった。
当時、代替地を得られない状況のなか、ライト館の取り壊しは、経営者として時代の要請に応えるには、やむを得ない苦渋の判断であったろうと思われます。
ガイド活動をしながら、それにしても一流のホテルに於ける雨漏りは致命傷で、反対運動が起こる中でのホテルで働く従業員の苦労も、大変だったろうと推測されます。
「フランク・ロイド・ライト」や「ライト館」に関する専門家の関連文献は多く目にしますが、専門家ではなく取り壊し当時、ライト館で働いておられた、竹下年子さんの著書【帝国ホテルの昭和史】をガイド仲間から最近紹介されて読み、当時の雨漏りの現場における苦労話が書かれていて、興味深く読ませてもらいました。
著者である竹下年子さんは帝国ホテル初めての女子客室係りとして、昭和8年に入社し、平成3年に退社されるまで60年間、80歳まで帝国ホテルに勤務され、昭和57年には国際親善の功労が認められて、黄綬褒章を授章された方です。その中に取り壊し直前のライト館のエピソードが書かれていましたので、ここに一部紹介しました。(以下 次号にて詳しく紹介いたします。乞ご期待)